中津川宿場東はずれ茶屋坂から、飛騨の国に通ずる道が分岐していた。地元の人々は飛騨への道であるので、飛騨街道と呼んだ。飛騨の人々は、中山道から江戸への道として利用したので、江戸道とも称した。中山道から飛騨に通ずる道の中では、長い期間雪に閉ざされる野麦峠などと異なり、冬期の利用が目立った。天領の飛騨、裏木曽の木材等で、役人の往来がしばしばあった。
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