昭和も戦後頃の富士見台は、危険な箇所も少なく安全の山とされていた。当時地元神坂中学校では学校行事として、夏季休暇中に富士見台でキャンプを行っていた。
昭和30(1955)年8月3日神坂中学校の生徒が、神坂小屋東方の高原状部分でテントを設営してキャンプ中、不幸にもそのテントに落雷があり、三年生山口勇君・大蔵たみ子さん、二年生園原昭次郎君・後藤艶子さんの四人の若い命が、一瞬にして奪われた。また隣のテントにいた引率の教師及び生徒ら五人も感電し大怪我をした。昭和31(1956)年7月遭難現場には関係者皆さんによって慰霊碑が建立された。最近まで関係者の人々によって供養が行われていた。
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