日本アルプスの父。スポーツ登山を伝えた功労者。
ウォルター・ウェストン。
牧師、登山家
アルパイン・クラブ(イギリス山岳会)会員
イギリス王立地理学協会顧問
日本山岳会名誉会員
ケンブリッジ大学クレア・カレッジ
リドレー・ホール神学校で学び、聖職に就く
25歳頃よりスイス・アルプスで本格的な登山をはじめ
ヴェッターホルン、マッターホルン、ブライトホルンなどの登頂のほか、アイガー、ユングフラウ等にも挑んだ。
宣教師として3度来日、熊本、神戸、横浜に居を構えた。その間精力的な登山活動を行い、日本の山々や、山村の風俗・習慣などを海外に紹介した。
日本山岳会の設立を提唱するなど、日本近代登山史上重要な人物となっています。
ウォルター・ウェストンは、英国聖公会・教会伝導協会派遣の宣教師として1888年(明治21年)日本にやって来ました。
熊本、神戸、横浜等の教会に籍を置いて、暇を見つけては日本の山岳登山を楽しんでいました。
一説には、教会の反感を買ったほど登山に夢中だったようです。
しかしながら、山岳会の創設や日本の山を著書によって世界に知らしめるなど、日本の近代登山発展のための貢献ははかり知れないものがあります。
ウェストンと恵那山登山
『恵那山というおもしろそうな山に登るため』 W・ウェストンは馬車を仕立てて、
はるばる美濃の国中津川までやって来た。
明治26年5月9日、日本近代登山の父といわれるウォルター・ウェストンは、富士山に向かう途上、東海道経由岐阜駅から馬車を仕立て恵那山登山のため中津川に到着。いまも建物が残る田丸屋(現曽我家)に宿泊しました。
翌10日は、大雨に足止めをくらい田丸屋の庭を眺めるなどして過ごしました。
11日、田丸屋の主人の忠告を制してまだ雪深い登山道を登り、正午頃には山頂に到着。三時間ほどを過ごしました。
その貴重な時間に素晴らしい景色とともにウェストンを楽しませたのが持参したココアでした。それは、登頂の喜びを噛み締めるにはあまりあるぬくもりと香りでした。
翌朝、田丸屋を辞したウェストン一行は、中山道落合宿を抜け神坂峠を越えて園原の神坂神社、そして伊那谷へと旅立って行きました。
1893年(明治26年)中津川での足跡
5月 9日/ 夕 方 中津川到着(田丸屋泊)
10日/ 終 日 雨のため足止め
11日/ 早 朝 田丸屋を出発
途中、八幡神社、恵那神社に立ち寄る
12:45 恵那山登頂、山頂からの眺望やココアを楽しむ
16:00 下山開始
22:30 田丸屋に到着
12日/神坂峠を越え伊那谷へ
