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はだか武兵伝説

中津川の昔話に登場するはだか武兵は、いまの旭ヶ丘公園あたりに住み、疫病を治したと伝えられる人物。



この昔話に登場する「はだか武兵」は実在の人物であったという記録が、加茂郡七宗町の旧家に伝わる「はだか武兵様建立帳」 の中に記されています。
はだか武兵が歴史上に登場するのは天保3年(1832)5月から天保4年(1833)9月までの間で、 天保年間は大飢饉があった年でもあるため、はだか武兵伝説は厄除け等の信仰の広まりとともに、伝わったと考えられます。

存在の真偽は断定できませんが、由緒ある家系の記録書に名前が登場するということは、 これまで伝説上の人物と主をれがちであった武兵が身近な人物となってはきませんか?


■■はだか武兵■■ 

むかしむかし、中山道すじの「うぬま」というところに、はだか武兵という男がおった。わかいころはたいへんな酒ずきでな。 あんまり大酒飲んで、らんぼうするもんで、近所の人びとにきらわれて、とうとう家におれんようになってしまったんや。それで、 東海道の雲助になってな。何年かたってから、中山道の中津川の宿場に来て、茶屋坂というところに、小屋を建てて住むようになったんや。
 武兵は、生まれつきの力もちでな。そのうえ、どんな寒いときでも、はだかでおったもんやで、木曽街道の雲助の仲間から「はだかの兄き」 と言われておったそうな。
 あるとき、武兵は、木曽へお客を運んで行って、帰りに日がくれてしまったもんで、木曽街道の須原という宿場の、神社の拝殿にとまったんや。 そのときに、白いひげのじいさまも拝殿にとまっとってな、たいくつなもんで、ふたりでいろいろ話をしとったんや。そしたら、 しまいにじいさまが、
「おれは疫病神だが、ひとつおまえと兄弟分になろうじゃないか。」
といったんや。
「兄弟分になってどうするんじゃ。」
と、武兵が言うと、
「おれがなあ、どんな家におっても、おまえが来たら、きっとにげていくことにするわ。」
と、言ったもんでな。武兵は、これはおもしろいと思って、兄弟分のやくそくをしたそうな。
 あくる日、ふたりがつれだって中津川へ歩いておって、ふと気がついてみると、白いひげのじいさまは、どこへ行ったんか、 おらんようになってしまった。武兵は、
「ふしぎなこった。ふしぎなこった。」
と、みちみち、ひとりごとを言いながら帰って来たそうな。
 そんなことがあってから、しばらくたって、なかまの雲助が、ひどい熱病にかかったんや。武兵が、白いひげのじいさまのことを思い出して、 その雲助のところへ行くとな、つぎの朝、熱はすっかり下がってしまったんや。こんなことが二へんも三べんもあったもんだから、 はだかの武兵は、熱病をなおすというひょうばんがたったんや。
 それから何年かたったある冬の日に、中山道の大久手の宿に、大さわぎが起った。それは、あるおとのさまのおひめさまが、 江戸へ行くとちゅう、病気にかゝりなさってな。それがまたひどい熱病で、近所の医者が、みんな集められたが、どの医者も、
「これは、わしの手にはおえん。」
と言ってな、さじをなげたんや。それで、おつきの家老は、こまってしまって、どうかしておひめさまの病気をなおしたいもんだと、 氏神さまにお百度をふんでおがんだが、それでもおひめさまの病気はなおらん。だんだん重うなるばかりや。
 六日目の朝になって、宿場の人夫頭が家老のところへ来て、
「おしかりを受けるかも知れませんが、中津川の宿に、えき病をなおす、はだか武兵という雲助がおります。身分はいやしいものですが、 この者をおめしになってはどうでしょうか。」
と、おそるおそるもうしあげたんや。家老は、おひめさまの病気は重くなるばかりやし、医者は見放してしまうし、こまりきっておったもんで、 身分のことなど言っておれん。
「よし、それをよべ。」
と言ったんや。それで、すぐさま家来と人夫頭が、中津川の宿の、はだか武兵のところへ飛んで行ったんや。
 その日はたいへん寒い日でな。ひとり者の武兵は、うす暗い小屋の中で、夕めしを食っとったんや。人夫頭が、
「はだか武兵とは、おまえか。大久手の宿でおひめさまが、たいへんな熱病でおくるしみだ。すぐ来てくれ。」
と、たのんだが、武兵はだまって夕めしを食っとって、いっこうに出かけようとせんのや。いらいらしてきた家来がな、刀をぬいて、
「おい、武兵、おれたちのたのみがきけんのか。」
と、おどかしてもな、武兵は、知らん顔しておったんや。しかたがないもんでな、人夫頭が、 近くに住んでおるおとくばあさんのところへたのみにいったらな、おとくばあさんが小さな声で、
「むりやりつれて行きんさい。」
と言ったんや。それで、武兵をむりやりにかごへおしこんで、大急ぎで帰ったんや。
 大久手の宿に着いた武兵を見て、家老や家来たちが、あっとおどろいた。雪ふりの寒い日というのに、武兵は、 ふんどしひとつのまっぱだかでな。黒光りするはだは、きん肉がもりもりともりあがっとって、とてもたくましく見えたんや。家老は、 はだかの武兵にびっくりしたが、おひめさまの病気が心配だから、さっそく、おへやへ案内したんや。
 武兵が、おひめさまのへやへはいってから、しばらくたつと、一番どりがないた。それでもおひめさまのへやからは、なんにも聞こえんのや。 おひめさまのへやへ雲助の武兵ひとりを入れたんだから、家老は心配で心配でたまらん。どうなることかとじっと耳をすましておったんや。 すると、お寺の鐘が、ゴーン、ゴーンとなって、夜明けをつげ出した。その時にな、へやの中からかすかに、 ウーンというおひめさまのうめき声がきこえてきたんや。(これは……。)と思ってな、家老がからかみをすうっとあけてみると、 おひめさまの病気はすっかりなおっとったんや。
 家老は、大よろこびでな、
「武兵、おてがらじゃ。ほうびは、望みどおりにあたえるぞ。何でも言え。」
と言ったけどな、武兵は、
「わしは、ごらんのとおりのはだか武兵です。何もいりません。」
と言ってな、何も もらわなんだそうな。
 そのあくる日は、十二月一日、この日は。めずらしくよく晴れた春のような日やった。おひめさまの行列は、 十日ぶりで大久手の宿を出発したんや。それからはなあ、
「はだか武兵の兄さが、おひめさまの病気をひとばんでなおした。」
と、近所かいわいの大ひょうばんになったんや。
 いまでもな、中津川の旭が丘公園に、このはだか武兵がまつってある。石碑の前に、舟形の石がおいてあってな、この石をたたくと、 チンチンと金のような音がするので、チンチン石と言っとる。悪い病がはやるときにゃ、自分の年の数だけ、チンチンと石をたたくと、 病気にかからんと言って、おまいりする人があるんじゃ。

文・大島 虎雄
絵・高橋 錦子


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