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豊かな森林にかこまれた加子母の自然をフルに活かし、自然と融けあった施設で、森と人、山村と都市をつなぐ交流の場としての役割を担っています。構造材では桧、杉、造作材には、桧、杉、サワラ、ネズコを使用しています。館内には、樹齢千年の日本一の大ヒノキの年輪板が展示してあります。


未来の世界とは、一体どんな世界なのでしょう?私たちの想像をこえた、すばらしい世界になっているとステキですね。みなさんの未来への夢がかなえられたら・・・という願いのもとに、この科学館はオープンしました。不思議いっぱい、夢いっぱい。わくわくするもの、どきどきするものをたくさん集めました。未知との出会いに、楽しいひとときを過ごせます。


馬の背に置く鞍の形をしていて、鞍岩と呼ばれています。昔は農耕や運搬は馬に頼るほかなく、急な坂道では人馬一体となって荷車を引く姿が見られました。なかでもここの坂道は付近随一の難所であり、人も馬も鞍岩の元から湧き出る清水で喉を潤したといいます。


駒場のコデヌキ坂に建つ。コデヌキ坂は旧中山道が駒場から坂本へ通ずる半ばにあって、設楽牧童の生家に程近い。碑に刻まれている句は、「水草まで箕をかむり行く春の雨」の一句。
牧童の俳句には、その無名の歴史の支えである、底辺の一農民の日常が年期の入った手法で、しかも素朴に表されている。


美濃路には道祖神は数少ない。しかも双頭一身の像形はこの付近でも類を見ない。道祖神は道路の悪霊を防いで行人を守護する神で、この像は中山道から苗木道(飛騨道)への分岐点に建てられている。この碑は文化13年(1816)3月、藤四郎ほかによる建立である。道祖神は男女相愛の柔和な表情や抱擁などの像形から、現在は愛の神としての信仰が深い。


旭六地蔵と呼ばれる道端に、明暦3年(1657)の記銘のある6面の石幢六地蔵がある。龕部には立像浮彫りの六地蔵が彫られ、六道に能化分身して衆生を救うとされる六地蔵信仰のその心が伝わってくる。傍らに南無阿弥陀仏の六字名号碑もある。明治初年の廃仏毀釈の折、その影響を受け傷つけられセメントで補修されている。地元の人々によっていつも花は絶えない。 


桃の花はおのずから少女にふさわしい 島崎藤村「桃」より
落合の桃園に建っています。


旧苗木領主遠山家の土蔵から発見された、約400年前の絵図。


入り口から階段を上ると自然の光に包まれたラウンジへ・・・そのまま光に誘われて階下に降りれば、そこには、八つの面に囲まれ、自然の中に遊ぶ熊谷守一があなたを迎えます。


中世・戦国時代から明治時代初期に至る,苗木領の歴史的な文化遺産を保存・公開する史料館です。 苗木遠山家の資料を中心に,苗木領と苗木城に関わる貴重な資料を展示し,関連する資料の調査・研究も行っています。


中山道は、江戸幕府が直轄する幹線道路である五街道の一つであり、その前身は東山道と呼ばれ、古くから西国と東国を結ぶ重要な街道でした。そして、江戸時代には、東海道とともに江戸と京都・大坂を結ぶ重要な街道として発展を遂げました。


中津川市に生まれ,近代日本画壇の重鎮として業績をのこした前田青邨画伯の作品を紹介する記念館です。


岐阜県中津川市苗木を中心とする長野県木曽郡南木曽町から岐阜県恵那市北部にかけての一帯は,「苗木‐上松花崗岩」と呼ばれる花崗岩の分布域で,この花崗岩体から水晶・トパーズをはじめ多種多様な鉱物が産するため,鉱物の一大産地「苗木地方」として明治時代からよく知られてきました。


風景画家として独自の境地を確立し,日本美術画壇を代表する故東山魁夷画伯の版画作品(リトグラフ・木版画など)を展示しています。


馬籠出身で、明治から昭和にかけて活躍した文学者島崎藤村(しまざきとうそん)の作品原稿、遺愛品、周辺資料など約6000点を収蔵しています。